案内看板より
「次郎右衛門は三度までおし戴いて傍ら三方の上に置いたのですが、清左衛門は受け取るとすぐに護符が燃え上がり、鉄火を投げ出して斃れてしまい、決着はつきました。
清左衛門はその場で御成敗、
その遺骸を頭部、胴部、脚部に三分割し、両村の「山界」を示す三か所に埋め、境塚を築きました。
松尾では現在、村の犠牲になった清左衛門の塚に碑をたて、真福寺の境内に墓碑を建てて個人を厚く供養しているそうです。」
なんとも惨たらしい結末を迎えてしまった鉄火の裁き
負けた松尾村の清左衛門は3つに切られ境界線を示す強烈な標となってしまった。
勝者側の縄澤村・次郎右衛門の情報が見当たらないが三度までおし戴いて傍らの三方の上に置いたとされているので両手がもう使い物にならないほどの火傷を負ってしまったのでしょう
次郎右衛門はおそらく村の英雄になったはずですが鉄火裁き以後どんな気持ちでその後の人生を生きたのでしょうか…
境内には昔ここで鉄火裁きが行われたことなど忘れたかのようなさわやかな日差しが照っていました。
余談
地理院地図をくまなく探してみたものの地名が変わっているのか境界線でもめていた
日影平という地名が見当たらない。
また、境界を示す首・胴・足塚も見当たらない…
↑こちらのブログによると
>ちなみに角田論文に付記された地図によると、首・胴・足塚は鳥屋山(とやさん)の西方、磐越自動車道の鳥屋山トンネルの北側に点在しています。
とのことなので日本神判史を手に入れて現地をもう一回いつか訪ねてみたいと思う。
結果は気長にお待ち下さい…
11月26日追記
日本神判史本屋さんで注文しました。
11月30日追記
本購入しました。
追記 机上調査しました。
2021/7/16 追記 実地調査しました。