久しぶりの昔話の現地訪問シリーズです
連休を利用して宮城県気仙沼市の大島まで出かけてみることにしました。
伝わっている昔話はというと
「みちびき地蔵」というお話だそうで…

昔、現在の気仙沼大島にある村で、ハマキチという名の子どもとその母親が、端午の節句の前日に、他所の田植えの手伝いに出かけた。夕方、その帰宅途中、「みちびき地蔵」という地蔵の辺りを通りかかった。その地蔵は、明日死ぬ者の魂が亡者の姿となって、天国に導いてもらえるように挨拶に来ると言い伝えられている。母子がその地蔵をしばらく見ていると、亡者の姿になった大勢の村人や牛馬までもが次から次へと挨拶に来て、天へと上がっていった。

この様子を見た母親は怖くなり、ハマキチの手を引いて急いで帰宅した。ハマキチの父にその話をしたが、狐にでも化かされたんだろうと取り合ってもらえなかった。 翌日、端午の節句には大きく潮が引くという慣わしの通りに、島の浜辺の潮が引き、ハマキチ親子も含めて大勢の村人が潮干狩りに出た。その年は例年になく大きく潮が引き、沢山海藻が取れたが、村の老人たちはこんなにも潮が引くのは何十年ぶりだと話している。やがて潮が満ちてくる時間になっても潮は満ちてこず、村人たちはそのまま海藻を採りつづけていた。すると遠くから地鳴りとともに山のように高い大津波が襲ってきた。

ハマキチ親子は急いで松山に上り、3人とも助かったが、他の逃げ遅れた大勢の村人が津波にさらわれて亡くなった。母親は昨日見たことは本当だったんだと確信した。村の書きつけには、この津波で61人が亡くなり、牛馬6頭が死んだと記されている。みちびき地蔵には今でも花や線香が欠かさずに供えられているそうな…
お話を聞く限りやはりというか明治三陸大津波・東日本大震災を思い起こしますね…
イワナの怪とは異なるリアリティを感じながら
三陸道を朝から飛ばして大島にやってきました

気仙沼大島ウェルカムターミナルに到着

お目当てのみちびき地蔵はいづこにあらんや?
謎の萌えキャラに聞いても返ってくるのは波の音だけ
案内図を見ると島を一周するように道路が作ってあるようです
ビジターセンターで案内地図をもらって早速向かってみることにしましょう
三陸のマスコットホヤボーヤくんに見送られるように出発
島内を周遊するメインストリートに入っていく丁字路を左に入ると案内看板が
直進すること2〜3分
みちびき地蔵に到着です
駐車場は軽自動車2台分ぐらい?


アニメだと小山の上に建っている感じでしたがお堂にお祀りされているみたい
みちびき地蔵(木像)3体とご対面
彩色されているタイプのお地蔵さんです
案内看板を要約すると
東日本大震災の大津波により、この地にあった「みちびき地蔵(3体の木製)」はお堂と共に流失してしまった。
気仙沼大島観光協会が三陸新報社の協力のもと、全国の支援により再建を果たした。
お堂は京都府の近江工務店によって、建造され、大型トラックで大島に運ばれ建立された。
みちびき地蔵堂再建にあたっては全国の方々の寄附で賄われた。
木製の3体の地蔵は小学生のとき父親を亡くし、供養のため中学校から仏像を彫り始めていた大島高井「丸生」の小野寺佑紀さん(当時大学在学中)が善意で製作してくれたとのこと。
石像の地蔵さんも津波に流されたが3体は後に発見されて今は六地蔵


周りを見渡しましたが亡者の方々は現れませんでした
島には少しだけ早い秋の気配
旅のお供に持ってきていた土偶2体と共に
みちびき地蔵が作られたのが1700年代というお話
さらに遡ると貞観地震(869年)があり、この地に残る昔話はそのことを忘れない為のおはなしではないのかしら…
大島にはもう一つ昔話があり、大津波の時には島が南北に分断されてしまうという話があったようなんですが3.11の津波・引き波でそれが現実になってしまいました
みちびき地蔵に手を合わせてそろそろ出発することにします
トモダチ作戦で米軍がホバークラフトで上陸した田中浜に立ち寄ってみることに

以前のみちびき地蔵は流されて失われてしまいましたが彼等は3.11で亡くなった人々をみちびきに行ったのではないか…?
なんて思う夏の終わりの午後でございました。
ここまでお読みいただきありがとうございます