後藤寿庵(ごとうじゅあん)という人物がいる。
寿庵という名前は洗礼名…所謂クリスチャンネームで洗礼者ヨハネ(せんれいしゃヨハネ)ヘブライ語: יוֹחָנָן הַמַּטְבִּיל, Yōḥānān スペイン語: Juan el Bautistaの名前を授けられている
ちなみにヨハネと言う名前の意味は「יהוה(ヤハウェ)が深く恵む」という意味だという。
陸奥国磐井郡藤沢城主・岩淵秀信の次男として誕生。
天正年間(1573年 - 1591年)、豊臣秀吉により主家・葛西氏共々岩淵氏も滅ぼされる。
慶長元年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵と名乗り、五島氏に改名する。
慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて陸奥国の戦国大名・伊達政宗に仕えた。慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)1,200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾するため、大規模な用水路を造り、これが「寿庵堰」と呼ばれ今も農業用水として胆沢平野を潤しているという…
東北のキリシタン関係を調べていくと必ずと言っていいほど見かけるこの人物の痕跡を多少ながら辿ってみることにしました。
館跡は公園になっているようで駐車場がありそこにXRを停めて歩きで向かってみることにします
周りは見事な田圃だらけ
家と家の間が空いてます
左の道に進みたい所ですがまずは右の道を進んでいくことに
綺麗に舗装されている小径を進むと
福原農村公園に到着
ここに後藤寿庵の館があったようです
十字架と掛けているのか避難場所に指定されているようです
公園内の小径をまた進む
昭和6年(1931年)に建立された廟に到着
碑文は↓下のPDFを参照されたし
https://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/03/keisai_48-8hito.pdf
和風でもあり教会や神殿の要素もあるような不思議な記念碑です
ピラーの装飾が教会っぽさをあげているような
入り口はあるようですが…
横から見ると薄い建築物です
誰かが供えた日本酒の瓶
開墾碑の側にあったボタン付きのスピーカー
ボタンを押すと大音量で後藤寿庵を讃える唱歌が静かな公園と田園に響きわたります
(ご近所さんすいません)
大音量で唱歌が流れるなか周辺を散策
廟に手を合わせ公園を後にすることにしました
続いて600メートルほど東にあるクルス場こと現在は黒州婆へ向かってみることに
当て字にして歴史を残すってのが素敵だと思うんですけど
墓地内には整理されており無縁墓地塔が建立されていました
往時を知るものは古い墓石たちのみ…
真っすぐな水路をながめつつその2へ続きます