
先日の唐桑半島キャンプの帰り道のこと。
三陸道を松島で降りて下道をツーリングしていると何やらいわくありげな案内看板を見かけたので寄り道してみることにしました。
最初に立ち寄ったのは元禄潜穴の穴頭(あながしら)


江戸時代、元禄以前ここは品井沼という沼地でした
伊達藩は米の生産量を上げるためと雨の度に洪水を起こす品井沼周辺の住民のために公共事業を立ち上げることになります
www.town.miyagi-matsushima.lg.jp


様々な準備期間を経、5年の歳月をかけて元禄潜穴 (2578m)は完成しましたが…

むむむすごい土砂のたまり方です
松島湾から2mほどしか高低差が無いので上手く土砂が流れていかないようです
定期的にメンテナンスが必要なようですが誰がするのかって…?

松島湾からの逆流を防ぐための水門
役目を終えて静かな遺構と化しています
しばらく水辺に佇むとカワセミが魚を咥えて飛び去っていきました
何年も人が出入りしていないような雰囲気です

干拓資料館に向かう横道にはひっそりと供養碑が建立されていました
碑文を読んでみると…
元禄潜穴改修工事犠牲者の霊を祭るために次の場所に供養碑を建立する
・幡谷地獄沢墓地に眠る数百名の霊
元禄6年から元禄11年の五か年
・幡谷大墓山墓地に眠る霊
伊達藩士総指揮者大越喜右ヱ門 外6名
元禄11年8月15日
・根廻影沢墓地に眠る人夫数百名の霊と
「おまん」の霊
享保7年7月17日
とありました
失ったいのちの数がおかしくないですか…?
武士の人々も一緒に供養されているのを見ると「犠牲」に対して「責任」を取ったのかなぁ…?と思いました
それで今向かっているのが名前が出てきた「おまん」さんの地蔵という訳です
鉄道用から転用されたようなトンネルを抜けて…
おまん地蔵がある場所に到着しましたが…
周りをパッと見てもそれらしいのは見当たらず…なんですがあの林が怪しいです
ぽっかりと空いた空間に公衆トイレがぽつんとあるだけです
夜は来たくないような空気がありますねぇ
林の方に向かってみると児童公園とのこと
幸いにして児童公園は草ぼうぼうで児童はおろか人の気配すらありません
公園の入り口

もう一つの入り口には鳥居
正規ルートからお邪魔します
フェンス周りにはガマズミの実

蒜沢阿弥陀堂の隣におまん地蔵が鎮座していました

質素な造りの地蔵堂です
案内看板を書き起こすと…
おまんさんの伝説
元禄十一年(一六九八)の元禄潜穴完成後
享保十一年(一七三一)第一回目の元禄潜穴の穴払いの工事で人夫頭の計算ちがいから大損をしてしまい、人夫賃が支払えなくなりました。
そこで人夫頭は、工事が終わった日、潜穴の中で人夫たちにお酒を飲まぜ、酔っぱらった時、穴の中に水を流して死なせてしまいました。
その中には歌の上手な「おまん」という十六才の少女も呼ばれていましたが一緒に犠牲になって死んでしまったのでした。
これを哀れんで建てられたのが「おまん地蔵」だと言われています。
😔


おまん地蔵に手を合わせます…
願わくばここにずっとあって彼等の生きた記録が記憶されますように…

おまん地蔵から進むと少しで第六ずり出し穴に到着しました
写っている小山が出てきた土砂を積んだ跡でしょうか?

遊歩道を歩いて潜穴に降りてみましょう

かなりの斜面なので気をつけて降りていきます


斜面前の説明看板

今も昔も記録しておく、ってのは大事ですね


実際に降りて見てみると凄い岩盤
ここ掘るのかぁ〜と溜息が出ます
フェンスの下を覗くと潜穴が見えました


見よこれが人のチカラだ…!
ずり出し穴を後にした私はそのまま潜穴の終点、穴尻へと向かいました



記念碑の横を抜けて穴尻へ
穴がよく見えないので川を見わたせる所まで行ってみます



穴の尻がよく見えない…
2年ぐらい前に訪問した時の画像を貼っておきます

ここが最終地点…
願わくば犠牲になった人達の魂が海に行っているといいんですが…
明治潜穴探訪編に続く予定です
ここまでお読みいただきありがとうございます

