ゴルゴタの丘はされこうべの場所(古代ギリシア語: Κρανίου Τόπος、ラテン語: Calvariae Locus)ともいう。
最初にお伝えしたいことなんですがここは観光地ではありません
愉快なお話でもありません
ただただ悲しく、無情で無残な跡だけが残っているだけです
それでも宜しければお読みください
先日諸星大二郎さんの漫画、妖怪ハンター「生命の木」という話に出てきた東北のキリシタン関連を調べていくうちにその歴史について興味が湧き現地に向かってみることにしました。
インターを降りて国道346を通りゴルゴダの地こと大籠集落まで向かいます
国道沿いには道の駅がありましたが何か教会を思わせるような建築になっています
国道346から県道295、大籠集落への入り口にはお地蔵さんがお出迎えしてくれました
目と鼻の先が岩手県一関市
本当のはざかいに大籠集落はありました
大籠集落の歴史をざっくり説明すると
江戸時代、大籠の一帯は仙台藩の領内であり、たたら製鉄を行う地として栄えていた。たたら製鉄を行う製鉄所は「烔屋(どうや)」と呼ばれており、この烔屋を経営していた千葉土佐が、製鉄の技術指導のために備中国(現在の岡山県)から千松大八郎・小八郎という兄弟を大籠に招いた。この千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンであり、この地で布教を始めた。また、フランシスコ・バラヤス神父がこの地を訪れ布教にあたり、大籠のキリシタンはさらに増加していったという。
たたら製鉄と技術者達、労働者達その結びつきは今現代のそれより想像以上に強かったんでしょうね
ですが、平和は長くは続きませんでした
キリシタンの迫害はこの地にも迫る。寛永16年(1639年)から数年間で300人以上の信者が処刑されたと言われている。キリシタン改めを行う台転場がもうけられ、そこで踏み絵などが行われた。キリシタンであることが判明すると、打ち首や磔などにより処刑されていったという。
目の前にある大きめの岩がその処刑を検分するために腰掛けたと伝わる首実験石
川を挟んで反対側を見てみましょう
首実験石の向かい側に位置する十字路にあるのが地蔵の辻(無情の辻とも伝わる)
打ち首や磔により178名が殉教したという。
夏の早朝の爽やかな空気感とミスマッチな雰囲気
岩や石碑しか残っていない、また説明看板の素朴な絵がなんとも言えない迫力を醸し出していました…
丘の上に建てられている公園内も見に行くことにします
こちらが郷土文化資料館
資料館前にはマリア像と幼いジョシュアくんことキリストの像がありました
斜向かいに大籠キリシタン資料館があります
朝早いのでまだ空いていませんでした
説明看板を見ていくと製鉄関連の資料
キリシタン資料館から伸びる道はクルス館へと通じる道のようです
それにしてもとんでもない坂だ…
次回に来た時に再訪することにして周囲を見て回ることにしました。
上野刑場近くにある大籠カトリック教会
敷地内にお邪魔してみることにします
イラスト的に可愛らしく見学、散歩、みたいな感じなんですけども私の表情は😔こんな表情です
地図によると一時期隠れキリシタン状態になった時に集会所替わりの洞窟が道の下にあるようですが私有地なので見学には許可と付き添いガイドさんが必要なんだとか
畑の中に元禄の碑という碑がありました
殉教した信徒達の遺体は60年間埋葬を禁じられ
元禄16年(1703年)にようやく埋葬されたようです
キリスト教徒として亡くなっていったんですが供養塔は南無阿弥陀仏と仏式になっています
私の足元の土も殉教した人達の灰から出来ているんでしょう…
思わず合掌します
というか大籠集落に入ってから合掌が止まりませんでした…
大籠集落見学の最後は元禄の碑近くにある上野刑場へ
こちらには十字架とお地蔵さんが並んで建っていました
上野刑場はこんもりとした塚状の土地です
60年間埋葬されずに積み上がった人々の高さではないのかしら…?
今現在大籠集落には静かな静かな時間が流れています
川に血が流されることもありません
十字路で誰かの泣き声も悲鳴も聴こえません
地面には綺麗なアザミが咲いていました
アザミの花言葉は「独立」「報復」「厳格」「触れないで」
宗教って一体なんでしょうね?
と考えこんでしまう夏の早朝でございました。
所在地
大籠キリシタン殉教公園
〒029-3522 一関市藤沢町大籠字右名沢28-7